| □ 吉野材について 1 「吉野の林業」沿革と特徴 2003.2.25 |
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吉野地方は、足利末期(1500年ごろ)に川上村で造林がおこなわれた記録がのこっております。
一般に吉野の材が多量に搬出されるようになったのは、天正年間秀吉が当地を領有し、大阪城や伏見城をはじめ幾内の城郭建築その他 社の普請用材の需要が増加し始めた頃からです。
その他当地方は徳川幕府の直領となりました。住民の主な生業は木材の筏の流送によって維持されてきました。
吉野林業の特徴は、極端な密植と弱度の間伐を数多く繰り返し(樹齢60年になる迄に10回前後)間伐期とする施業です。
酒樽・樽丸の生産も目的とした為 年齢幅が狭く(1センチに8年輪以上)そして年輪幅も木の中心から外形へ向かって均一に作り上げる為です。又建築用材としても、密植によって木は上のほうに向かってイガミ少なく延びます「通直」と共に枝同士のぶつかり合いと、間伐で木が倒れる折、枝のなぎ払いなどによって節の少ないよい木をつくります。 |
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(曽羽・記) |
| □ 吉野材について 2 「自然条件と保育」 2003.4.25 |
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吉野林業地帯の地質は、主として秩父古生層の水成岩「砂岩・粘板岩・石灰岩」の風化した土壌はリン酸加里・ケイ酸塩類に富み、またその土壌は保水と透水性が極めて良好で、加えて年間雨量2,000ミリ以上、年平均気温14℃、冬期の積雪30センチ以下という材木の生育に最適の条件を備えている。
下刈りは植栽後3年までは年2回刈、4〜6年に年1回刈で行なわれる。
9〜13年に吉野独特の「ヒモ打ち修理」と称する生の下枝の切り落としと、劣悪木の伐倒が行なわれる。
打ち上げ高さは約1.5メートルで林分密度の調整と共に林内作業を容易にする目的です。間伐は杉16年〜20年から始め、40年ごろまでは3〜5年に1回、70年ごろまでは7〜10年に1回。以後10〜20年に1回の割りで行なう。
檜は20〜25年と30〜35年、40〜45年の3回で打ち止めとする場合が多いが、極めて丁寧に打ち落としている。 |
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(曽羽・記) |
| □ 吉野材について 3 2003.6.25 |
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吉野材は長い間東京の製品市場で又大阪その他の地域の市場で他府県産の杉・檜の製品の価額に対して2割り前後高い値で取引されてきました。それは各地の木のプロが吉野材の良さを認めてくれたことに他なりません。
では何が、何処が良いのでしょうか。
それは木の材質と木の構造の二つの面から言えます。
材質については、これは大自然の恩恵によるものです。然し木の構造の面は室町時代から500年の歴史と伝統を持つ吉野林業の技術の成果に拠るものです。
<吉野材の6つの特徴>
本末同大 : 木の根元も上の方も其の太さがほんの僅かしか変わりません。
真 円 : 木の周りが円丸に近い事。
原木の味や風情を其の侭に生かした柱などに重宝されている。
年輪幅均一 : 年輪の幅が木の中心から外形に向かって均等に展開している。
色沢良好 : 色艶が良く、香りも上品。赤味がピンクの柔らかさを持つ。
通 直 : 木の歪みが殆ど無く均質な柾目が美しい。
無 節 : 枝打ち、多間伐などによって、無節の良材を作り、材の美しさは
人の心に安らぎを感じさせてくれます。 |
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(曽羽・記) |
| □ 茶室と里山 2003.8.25 |
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武野紹鵡(1502−1555年)が四畳半の茶室を確立した後、多くの茶人によって次々とそれを真似た草庵風の小間の茶室(四畳半以下を小間)が作られる様になりました。
その茶室に使われた材料を見ていますと、柱には杉・檜の面皮柱「丸み」床柱や中柱又床框・落掛には、赤松・梅・桜・こぶし竹等そして天井の材料としては、貴賓席・点前座・客座の夫々の天井には、現在の様に板を張り詰めるのではなく、竹・茅・杉又はさわらの「ノネ板」や網代天井が多い事に気づきました。
現在の様に機械の無い当時を思うとそれは、材料と仕事の面から、在る程度自然の姿では?
現在、住宅に使用する木材は、それ様に育てられた杉・檜の山林から原木が搬出され、それを電気で動く製材機にかけて、柱や板・敷居・鴨居等、日に何百丁と作る事が出来ますが、当時は、木挽きさんが、頑張っても1日に作れる、柱や板は、しれたものだったでしょう。
近くの里山に在る材料を、上手に生かして、柱は適寸の杉又は檜を伐って持ち帰り、チョンナでハツルと面皮の柱が出来上がります。
3・4センチの竹を藁縄で編むと・茅も並べて適当に止めると天井になります。
ノネ板も当時は板を木挽きさんが挽いて作る事を思えば、当時はナタで挽き割って作るほうが簡単に出来た事でしょう。 |
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(曽羽・記) |
| □ 日本書紀 神代の巻 上 2003.10.25 |
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長引く不況の中で林材業界は特に厳しく、何とか活性化へ導きたまえと紀伊の国の木の神様、スサノオノ尊の子、イタケルノ尊(五十猛尊)にお願いに行ってきました。
イタケルノ尊は多くの樹種を持って最初に新羅の国に天下り、植林に当たりましたが、この地はふさわしい地でないと思し召され、我が大八州に持ち帰り、筑紫より始めて我が国全土に播種植林せられ給うた。
歳月を経るに従い国内は緑の山をなし、山青く、水清き森林美の根源を培養せられました。
スサノオの尊は髭を抜き蒔く、即ち杉となる、胸毛は檜、隠れ毛(尻毛)は槙、眉毛は楠になる。既にして其の用ふ可きを定む、杉及び楠木は浮宝と成すべし、檜は瑞宮(ミズ)を造る材と成すべし。
杉の木の北限は北海道函館付近に僅かにありますが、青森県が北限で、南は屋久島です。
檜は鹿児島県から関東地方まで、少し飛んで岩手県に僅かにあります。
九州から関東まで使われている檜材は東北、北陸地方には無く、その地方では、土台や柱にはヒバ材が使われています。青森ヒバは有名です。韓国には杉、檜はありません。 |
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(曽羽・記) |
| □ 小林家の普請帳 2003.12.25 |
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南山城の小林家住宅「築1665年」とその家の普請帳の写しを見せてもらいました。
普請は元来仏語で、あまねく同士に請うて共に事をなすこと、と言う事から家の新築をはじめ屋根の葺き替えや、増築・移築を普請と言った。
近世民家の普請は地縁・血縁にあるものの物心両面にわたる援助協力で行われて来た事が、北海道から九州にいたる各地に伝わる普請帳から伺う事が出来ます。
小林家の「普請合力覚え」には225筆からなり、内容は表題の通り、普請にさいして村人からの合力の品品が記載されています。
合力の品品は建築材料と食物です。合力の建築材料は材木・竹・藁・縄・石で225筆の内195筆を占めています。
食物は魚類・昆布・豆腐・酒・その他で30筆となっています。
例 1 藁 4束 与左衛門 1 太縄 二束 十大夫
1 小竹 1束 伝十郎 1 塩鯛 2枚 長次郎
以上のようにして、身近で用意できる実用的な材料を持ち寄り、生活共同体の中で一種の付き合いとして互いの普請の折に共同作業が行われました。
又他家の普請に際しては「返し」をしたことが書かれています。
1667年−1708年の間に36軒への「返し」をしています。 |
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(曽羽・記) |